15日、68回目の終戦懸念日でもありますね。

私はこの年の2月に岐阜市で生まれましたが、米軍の7月空襲に家は焼かれて一家は父の生まれ故郷洲原村に戻り、今の美濃市の山田舎で育ちました。

両親、兄達の様に戦争時の思い出はありませんが両親、兄達からはよく空襲時の岐阜市の様子をお盆に成りますと親戚の人達と共に良く聞いて育ちました。

一番の印象話しとして、母親から、お前を背中に背負い逃げる途中に母親の肩口に照明弾の破片が当たり親子で一命を落とす寸前だっとと聞かされた事です。

母親は、防空頭巾を被っていましたので運よく助かりましたが、当たり所や、爆発前の照明弾であれば一命はなく死亡者に成っていました。

私も運が悪ければ、今の自分は無くこの様なソネブロを書いてる人生は無かったのです。

無事でここまで人生を送れてる事に感謝しなければ神様、仏さまに申訳ありませんね。

今の時代に、このつらい戦争体験者の高齢化で後世に語りつなげる方たちが少なくなる事が寂しいかぎりですね。

両親は終戦後の、苦しい生活時期に兄妹2人を重い病気で失った事を何時も悔やんでいましたね、戦争が無ければ商売(豆腐屋:屋号美濃や)を営んでいましたので6人を無事育てられたのにと。

今も世界の中では、内紛等で人が人を殺めています悲しい現実があります。

早くこの世の中から、戦争と言われる争いが無くなる事を念じてやみません。

私達兄弟は皆家を出て独立した為、実家の田舎で現在はだれも住んでいません。

私の父親は本家の長男ですが、事情があり分家に成りますが、お墓は本家と並んでいますのでお盆の今日お墓参りに行ってきます。

普段、お墓参りも少ないので、ゆっくりと両親、兄妹に私達の生活、現状をお話してきます。



お墓参りにはお花をもっていきますので、道途中にありますJAが運営の野菜販売の『とれった広場』に寄り、お花を購入です、ついでにカボチャの販売状況を見てきました。

ありましたよ、沢山種類も豊富で価格は¥150から¥280前後。

目的の宿難カボチャは、¥500から¥1000のお値段、もっとも多いのは¥500から¥600ですね。

中には、3Kg以上のジャンボサイズもあり、スタイルは私の物と同じです。
このカボチャ、生産者さんが、収穫日と食べてもいい日時をピンクの紙に記載してありました。
ちなみに価格は¥650でした、昨日のスーパーではこのサイズを4つ切りで一片¥250でした。
カボチャの種類は豊富ですが、近年こちらでは宿難カボチャに人気が集まっていますので生産者も増え入荷数もありますので、今はお値段が¥500~¥600と安定していますね。
写真撮影中にも2人が購入されていました。



今日の畑は、7時から2時間程、水路に水が流れていましたのキュウリ、ピ^マン、人参、牛蒡、ナスにたっぷりと水を与えました。

こちらは畑と庭のお花です。



本日もご訪問頂きありがとうございます。